No.1084  江戸時代といっても  投稿者:田舎もんのトトロ  着物歴:3年  住所:栃木県  投稿日:2002-05-29
コメント: こんにちは、田舎もんのトトロです。

どう説明したら良いのか難しいのですが。
優妃 讃良さんからリプライがつきましたので、
私も付け加えます。

まず、今のきものの着方は、おおよそ江戸中期の頃のもので、さらに、その後、時代の流れにより、
新たなものが付け加えられたと考えるとよろしいかと思います。

お尋ねのように、毛織物(羊毛)は舶来物で、室町時代には伝わっていたようです。
こうした舶来物を入手できたのは、将軍家などの一部の人達のみであったろうと推察されます。優妃 讃良さんも書いてらっしゃいますが。

#ひょっとすると、戦国時代に、堺の商人、たとえば、千 利休たちは入手し、着ていたかもしれませんが。

でぇ、農民を含めて、町民、あるいは下級武士は、江戸時代の初めまでは、麻、それから、今で言う古代布(しな布、藤布など)を着ていたそうです。もちろん、絹も使っていたろうとは思いますが、いわゆる屑繭のものでしょう。

木綿も、室町時代には舶来物で、ごくごく一部の高貴な方々しか入手できなかったそうです。
戦国時代、ちょうど「利家とまつ」の時代の頃から、綿花栽培がはじめられ、下々にも行き渡るほど供給されたのは、江戸中期以降のようです。

ですので、江戸時代でも、初期は、布といえば、絹、麻、そして、古代布しかないと考えて良いと思います。

江戸時代には、奢侈禁止令が何度も出され、華美な服装を戒めましたが、それが、町人の裏優りの美学へと繋がるわけです。
襦袢(下着であって、肌着ではない)や羽裏に
凝ったのです。

一方で、きものを洗うには、洗い張りが行われ、そのときに、繰り回しが行われたのです。
袖口が傷んだら、左右の袖を付け替えるなどを
行ったわけです。
これらは、衣更えに行ったようです。袷だった着物を単にし、寒くなったら、袷にする。さらに、もっと寒ければ、綿入れにする。
四月一日と書いて、わたぬきと読むには、そうした先人の暮らしがありました。

一着のきものをそのように仕立て直して、着たんですねぇ。そのようにして、短くなれば、襦袢(下着)にし、さらに短くなれば、今の半襦袢のようになり、布がぴりぴりとなるまで着て、最後ははたきにしたそうです。

ウールのきものについてですが、男のきものに現れるのは、インバネスなどのコートがはじめでしょう。ただ、これも、明治時代には相当高価だったはず。
良く言われますが、校長先生でないと買えなかったとか。

戦後の衣料不足のときに、ウールのきものというのはどうかなぁ?まず、ウールに布そのものが無かったと思いますが。人絹の銘仙が飛ぶように売れた時代に、ウールがあったとしても、
とても高いと思いますが。

長くなりました。

ごめんなさい。

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