| 「和服を着る以前の憂鬱」 |
「高いから買えない?!」 いろいろなご意見はあることと思いますが、私は何をさしおいても、やはりこれが和服が普及しない、あるいは、多くの人が和服を身近なものとして感じ取れない最大の問題であると思います。逆に、残りの問題は、どちらかと言うと着る人自身にディペンドした問題であり、解決法も一人一人の意識と行動に大きく委ねられる問題であると思うのです。その反面、価格についての問題だけは、個人が解決するにはどうしても限界があります。また、その実態と是非がどうであれ、少なくとも、和服の価値を理解し納得している以外の人々に、こうしたイメージが定着しているのは事実なのですから。 「自分で着れない?!」 このことの背景として、「男性の和装に関する情報があまりにも少ない」ということを理由として指摘する人が多いのですが、本来ならばそんな時、真っ先に頼りされるべきは、町の呉服屋さんではないでしょうか。ところが、現実には、そうしたお店は非常に少ないものです。むろん、「うちは頼りにされている」と胸を張るお店もあるでしょうが、得意客だけでなく、全く新規のお客様にもそうした感覚が伝わる雰囲気のお店になっているでしょうか。そんな、本来の意味でのパートナーショップといえる呉服屋さんを、多くの人たちは求めていることと思います。「自分で着れない」という問題は、そういうお店が身近にあれば問題ではなくなりますし、問題どころか、新しいことを経験できる喜びにさえ変わると思うのです。これからは、和服を着てみたい!という気軽なニーズに対し、もっと多角的なフォーローが望まれるようになってくるでしょう。 「着る機会がない?!」 これも別のいい方をすれば、和服を着ること、すなわち和装そのものが、あまりにも「特別」なものとなってしまっているからと言えます。和装を連想するある特定の職業に就いているか、もしくは和服に縁のある伝統芸能の関係者(たとえば、呉服関連業・神職・僧侶・噺家・歌舞伎役者・茶道・華道・弓道(武道全般)の関係者など)あたりの方が、衣装や装束・ユニフォーム等として用いる以外、これらに縁のない人にとっては、全国各地の祭りや結婚式・お正月などといった、特定のイベントでのみ着用されるハレの日の衣装という感覚が定着しています。つまり、広く世間一般では日常着としての和服はほとんど姿を消しており、「和服は日常に着るものではない」といった感覚を持っている人が多いのが現実です。普段なんでもない日に和服を着て街中を歩こうものなら、奇異な目で見られる視線をいやというほど味わう羽目になります。もっとも、和装に縁のある人にしても日常生活で和服を常に着ているという人はほとんどおられないようですから、和服を日常着にしている人は、和装利用者の中でもさらに少数派であると言ます。 しかしながら、伝統的な習い事や武道関係への従事が縁でなくとも、和服にハマルきっかけはあろうかと思います。いずれにせよ、和服を、特定の機会にだけ利用する衣装であると考える限り、この問題を問題として抱え続けることになります。何度も言うように、和服は衣服なのですから、「自分が着たいと思った時」、まさにそれが着る機会なのです! 「周囲の理解が得られない?!」 これは非常に難しい問題ですが、希望的観測で述べれば、世間に和服愛用者が目立つほど増えれば、自然と解消してゆくものと思います。少なくとも、和服に興味がなかったり、好んで着る事に理解を示してくれないような人であっても、和装そのもののスタイルや雰囲気あるいは和装自体に拒絶反応を持っているわけではなく、そのほとんどが、目立つから、人と違うから、お金がかかるからなど、およそ和装自体とはなんの因果関係もないことを理由にしているようですから。 和服を着る着ないは個人の自由ですし、着こなしも基本的には自由でいいと思います。周囲の理解を得、よりよい着物を着たいと願う気持ちは、きっとみんな同じ想いでしょう。肝要なのは、自分自身が納得し、満足できるきものライフであるかどうかです。もちろん、きものライフにおける価値観は、一人一人みんな違うことでしょうから、学生は学生の、独身者は独身者の、妻帯者は妻帯者の許されるキャパシティの範囲内で楽しむことが大切だと思います。それさえ守って楽しめば、自然と道は開けてゆくものです。
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| 1999年4月3日 掲載 |
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