和服を着る以前の憂鬱

男性に限らず、日常で和服を着るということに関して、和服を着る以前の「憂鬱」に悩んでいる人は数多いことと思います。憂鬱とは、「高いから買えない」・「自分で着れない」・「着る機会がない」の、昔からよく聞かれる「三ない」のことですが、これに加え、「周囲の理解が得られない」という悩みをお持ちの人も多いようです。今更語るまでもなく、和服・和装に関して消費者の声を求めると、必ずと言っていいほどこれらのことに触れた意見が出てきます。

こうしたことを「問題」だとして意識する和装ファンが、これほどまでに多いという事実は、世間の目など気にすることなく、和服をもっと自由に楽しみたいと願う人が、いかに多いかを示しているとも言えるでしょう。和服以外の衣類であれば、およそ悩まないでよさそうな、これらのことに触れなければならないこと自体遺憾に思うほどですが、そうは言っても多くの人にとって、避けられない深刻な悩みであることも間違いありません。

「高いから買えない?!」

いろいろなご意見はあることと思いますが、私は何をさしおいても、やはりこれが和服が普及しない、あるいは、多くの人が和服を身近なものとして感じ取れない最大の問題であると思います。逆に、残りの問題は、どちらかと言うと着る人自身にディペンドした問題であり、解決法も一人一人の意識と行動に大きく委ねられる問題であると思うのです。その反面、価格についての問題だけは、個人が解決するにはどうしても限界があります。また、その実態と是非がどうであれ、少なくとも、和服の価値を理解し納得している以外の人々に、こうしたイメージが定着しているのは事実なのですから。

しかしながら、この問題は非常に慎重に語る必要があります。なぜなら、和服の価格に対する消費者の「想い」と多くの呉服販売業者の捉えている「想い」との間には、まだまだ大きな隔たりがあるからです。価値観の相違を持ったまま、価格の高い安いを議論しても解は得られません。個々の人の価値観の相違により、一万円の絶対価値を高いと感じるか、安いと感じるかという議論そのものが、意味のないことはお分かり頂けるものと思います。そんな中で、ましてや「新品」と「古着」の扱いを、「価格」というひとつの価値観でのみ混在して語るようなことをしてしまうと、大きく論点がずれてしまい、誤解が誤解を生むことは避けられません。中には、高級呉服を悪のようにいう消費者がいますが、むしろ、実用呉服の存在が希薄であることが問題であると提言すべきでしょう。きもの業界は後継者不足も深刻な問題ですから、最悪、作り手がいなくなっては、値段のことどころの話ではなくなりますから。今は、このことが一番心配です。そんなわけで、実際の製品自体の「適正な価格」を、自分の都合でしか意見を言わない少々困った人達の「想い」と一律に結びつけ、高い安いを語ることは非常に危険なゲームであると言えます。

和服は、消費者の手に渡るまでに非常に多くの人の手がかけられて届けられる商品であり、そうした事情がそれなりの価格設定を生むものと思われますが、決してすべての商品がやみくもに高価なわけではありません。仕立て代がかかることも、オーダーメイドの衣服である点を考えれば、洋服と比べそれほど特殊な事情であるとも思いません。実際、和服は一度作れば、五年や十年、あるいはそれ以上、着まわせることは間違いありませんから、トータル的なコストパフォーマンスが洋服よりも優れているという話も事実であると言えます。

それでもなおかつ、多くの人に和服は高価だと印象付けているのは、
「高級呉服」以外の分野の和服販売が手薄であるがゆえに、手軽な価格の商品が滅多に目に付かないからではないでしょうか。個人消費者を販売対象とする商品であるならば、高級品一辺倒でなく、中級品、普及品、実用品といった、消費者の嗜好に応じて選択可能な幅のある製品提供が望まれるはずです。自動車然り、オーディオ製品もまた然りです。和服は衣料品であるにもかかわらず、長い間の独特な商習慣が、特定マーケットだけを狙った特殊な商品であることを印象付ける結果となってしまっているようです。もっとも今日、和服が「衣料品」としての意識で販売されているのかどうか自体、はなはだ疑問ではありますが。

もちろん実際の商品バリエーションや位置付けに、まったく普及品呉服と呼べるものがないわけではありません。中には安くてよい品も数多く存在しているのですが、いかんせんPR不足です。もっとも、個人経営の一販売店で可能なPR手段には限界もあるでしょうが、今のままでは日に日に衰退の一途を辿るばかりに思えます。中でも、普及品、実用品として最適な素材であるはずの木綿やウールが、今や絶滅の危機に瀕しているとなどと言われれば、日常和服を愛用している我々としては、残念なだけでは済まされず、絶望感すら漂ってしまいます。

和服は本来もっと幅広く利用されてしかるべき要素を持つ衣服なのですから、もっともっと、高級呉服だけが和服ではないということもPRすべきだと思います。安価な普及品の販売によって、本物と言える高級品やお店の信用にマイナスのイメージが付いてしまうことが問題となるなら、別ブランドで出してしまうという戦略もあると思います。これからは、売り手の側にも「衣装」や「伝統工芸品」としてばかりでなく、まず第一に「衣服」とか「衣類」として和服を捉えて頂き、きものビジネスを広げてもらいたいと切に願います。

「自分で着れない?!」

このことの背景として、「男性の和装に関する情報があまりにも少ない」ということを理由として指摘する人が多いのですが、本来ならばそんな時、真っ先に頼りされるべきは、町の呉服屋さんではないでしょうか。ところが、現実には、そうしたお店は非常に少ないものです。むろん、「うちは頼りにされている」と胸を張るお店もあるでしょうが、得意客だけでなく、全く新規のお客様にもそうした感覚が伝わる雰囲気のお店になっているでしょうか。そんな、本来の意味でのパートナーショップといえる呉服屋さんを、多くの人たちは求めていることと思います。「自分で着れない」という問題は、そういうお店が身近にあれば問題ではなくなりますし、問題どころか、新しいことを経験できる喜びにさえ変わると思うのです。これからは、和服を着てみたい!という気軽なニーズに対し、もっと多角的なフォーローが望まれるようになってくるでしょう。

ともかく「自分で着れない」に関しては、情報の少なさや、呉服屋さんに限らず、身近に着れる人、着せられる人がいないことが、自己解決できない理由のように言われますが、それでも着たければ自分でひたすら練習するほかありません。確かに、生まれてこのかた一度も和服に袖を通したことがない(旅館の浴衣すら着たことがないという)人にとっては、和服を手に入れる手段、選び方、着方、造作の仕方など、あらゆることが洋服と違うため、とても「気軽に着る」という感覚になれない気持ちは理解できます。私自身も当初は情報のなさに困り果て、和装に関するあらゆる事柄を何とか得ようとしたものでした。それでも好きで着たいという気持ちが捨て切れず、見よう見真似で始めた和服暮らしでしたが、結果的にはそれなりに脱ぎ着できるようになったことを考えると、情報不足ばかりをそれほど大げさに捉える必要はないのかも知れません。あとで知った話ですが、私の母も若い頃同様に自力で着付けを覚えたと話していました。いずれにせよ、まだまだメジャーな分野であるとは言い難いのが現状である以上、ある程度のことは覚悟しなければならないでしょう。

それでも、「好きであること」は、無から有を生み出せるほどのエネルギーを秘めていますから、自分一人の力で和服を着ることも不可能な話ではありません。今までは、男性が和服を着るための情報入手は困難極まりましたが、幸いにもこのホームページをご覧になれる方に対しては、必要十分な男性のための和装情報を提供しているものと自負しています。あとはあなたの和服に対する想いの強さだけが自分で和服を着るために必要な鍵となるでしょう。教科書的なマニュアルから得た知識よりも、実際に体験してみて感じることの方が、はるかに手っ取り早い道であることの方が多いものです。急がば回れの精神で、改めて和服と向き合ってみてはいかがでしょうか。

「着る機会がない?!」

これも別のいい方をすれば、和服を着ること、すなわち和装そのものが、あまりにも「特別」なものとなってしまっているからと言えます。和装を連想するある特定の職業に就いているか、もしくは和服に縁のある伝統芸能の関係者(たとえば、呉服関連業・神職・僧侶・噺家・歌舞伎役者・茶道・華道・弓道(武道全般)の関係者など)あたりの方が、衣装や装束・ユニフォーム等として用いる以外、これらに縁のない人にとっては、全国各地の祭りや結婚式・お正月などといった、特定のイベントでのみ着用されるハレの日の衣装という感覚が定着しています。つまり、広く世間一般では日常着としての和服はほとんど姿を消しており、「和服は日常に着るものではない」といった感覚を持っている人が多いのが現実です。普段なんでもない日に和服を着て街中を歩こうものなら、奇異な目で見られる視線をいやというほど味わう羽目になります。もっとも、和装に縁のある人にしても日常生活で和服を常に着ているという人はほとんどおられないようですから、和服を日常着にしている人は、和装利用者の中でもさらに少数派であると言ます。 しかしながら、伝統的な習い事や武道関係への従事が縁でなくとも、和服にハマルきっかけはあろうかと思います。いずれにせよ、和服を、特定の機会にだけ利用する衣装であると考える限り、この問題を問題として抱え続けることになります。何度も言うように、和服は衣服なのですから、「自分が着たいと思った時」、まさにそれが着る機会なのです!

「周囲の理解が得られない?!」

これは非常に難しい問題ですが、希望的観測で述べれば、世間に和服愛用者が目立つほど増えれば、自然と解消してゆくものと思います。少なくとも、和服に興味がなかったり、好んで着る事に理解を示してくれないような人であっても、和装そのもののスタイルや雰囲気あるいは和装自体に拒絶反応を持っているわけではなく、そのほとんどが、目立つから、人と違うから、お金がかかるからなど、およそ和装自体とはなんの因果関係もないことを理由にしているようですから。

何事に限らず、理解を得るということは、価値観の相違を克服することだとも言えますから、自分で着れないとか着る機会がないとかいったことよりも、はるかに解決が難しいものと想像されます。しかしながら、このことも例外でなく、地道に時間をかけながら、感覚的な周囲の「慣れ」を生むほかないでしょう。あるいは、開き直るという手もありますが、この方法を採るならば、しっかり堂々とした所作を心がけましょう。さもなければ、よけい変な目で見られてしまいます。
和服を着る着ないは個人の自由ですし、着こなしも基本的には自由でいいと思います。周囲の理解を得、よりよい着物を着たいと願う気持ちは、きっとみんな同じ想いでしょう。肝要なのは、自分自身が納得し、満足できるきものライフであるかどうかです。もちろん、きものライフにおける価値観は、一人一人みんな違うことでしょうから、学生は学生の、独身者は独身者の、妻帯者は妻帯者の許されるキャパシティの範囲内で楽しむことが大切だと思います。それさえ守って楽しめば、自然と道は開けてゆくものです。


1999年4月3日 掲載
    
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