「着てこそ着物」

タンスの底に長い間眠っていた着物、やっとの思いで手に入れた着物。どんな着物も眺めるだけでは本当の存在価値を発揮できているとは言えないものです。「着物」はその字の意味する通り「着る」「物」であり、着てこそ着物であると言えます。ところが多くの場合、着物が高級品扱いされるイメージや結局は高価なことなどが仇となり、せっかく手に入れた着物も思うようには活用されていないようです。洋服と同じように着物を選び、日常の様々なシーンで自由闊達に着る事を楽しむことができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。とはいえ、ごくごく一般的にはなかなかそこまで踏み切れないようです。ではなぜ着物を手にすることができた人ですら、なかなか利用しないのか、よくある話を心理分析に基づいて「風が吹けば・・・」的にまとめてみました。

和服は高価→けれども欲しい、着たい→頑張ってお金を溜める→やっと買えた!→でも高かったし汚すと大変だからお正月くらいにしか着ない→普段は箪笥にしまっておく(普段着を買ったのに普段は着ない)→やっとのことでお正月。けれどもうまく着こなせない(滅多に着ないので満足に帯も締められない)→お正月は年に一度しか来ないし、他には滅多に着る機会がない→年に一度しか着ないものをなんでこんなに高いお金払って買うのだろう?(だんだん疑問に思ってしまう)→毎年着方が分からない(年に一度しか着ないのでは当然)→毎年着るのが大変なので着慣れてる洋服で十分だということに落ち着く→和服は箪笥の中で永眠(今度は二度と着ない)→もう一枚和服を買おうなどど二度と思わない→和服は売れない→和服は薄利多売型の商品ではなくなる→どうしても高額商品中心でビジネスは成り立つ→結局和服は高価とならざるを得ない?!→→→振り出しに戻る。

とまあ、だいたいがこんな感じだと想像されます。よく「最初に揃えるものこそいいものを」と言って、男物といえば大島の高級品を勧める呉服屋さんがありますが、これがまさに上に書いたような悪循環の環にハマッてしまう典型例だと思うのです。もちろん、利用する目的によってはそうした高級品を好んで求める場合もあるのですが、問題は普段に着たいと言って求める人にまでそうしたものを勧めると、こういうことになりがちです。和服は何しろ着るものですから、買っても着なければ何の意味もありません。少なくとも私はそう思います。生産する方々にしても、箪笥の中で永眠させる和服をわざわざ作っているわけではないと思うのですが。

ただし、こうなってしまう背景には我々消費者の側にも問題があり、決して売る側の問題だけでありません。和服の本当の気持ち良さを知る前に、上で述べた数々の障害をクリアできずに諦めてしまうのは、利用者の個人的な問題だと言えます。それでも、和服=高級高額商品というイメージばかりでは、普通の消費者にとって贅沢品という感覚でしか捉えられなくなることは否めず、結局は周囲の重圧に負けてしまうのでしょう。そういうものは、買わなくても生きて行けますから、よほどのことがない限り買わないものです。そこに、和服を着ている人に対し贅沢だという変な誤解が生じ、もう一つの悪循環の輪が出来てしまうと思われます。

安いばかりが良いわけでは決してありませんが、それが全くないに等しいというのはやはり問題です。たとえば一万円前後で買える木綿の長着や羽織などがあれば、ぐっと手が届きやすくなるのは明白です。きっかけはどうであれ、そうしたものから和服の味を知れば、自然と高級なものを求めたいと思うようになるのは人の世の常です。目に見えない多くの潜在ユーザが、きものファンへと成長すれば、紬やお召も揃えるようにきっとなってゆきます。そうなれば従来からの本物、高級品需要も減らないのではないでしょうか。

また、そうした和装品を、もう少し身近なお店で手に入れることができるといいですね。甚平や作務衣は、スーパーの衣料品売り場にもありますが、ああいう感覚で安い木綿の長着や襦袢、和装下着なんかを売ってくれるといいんですけど。リサイクルの着物もそういうところで、気軽に買えると言うことなしです。そんな提供形態が実現すれば、和装品を求めている人々に対する需要の幅を広げることができると思うのですが。もっともこういう話は、マーケットの絶対数が把握できなければ、ビジネスとしての冒険は現実問題として難しいことも承知ではありますけれど。

ところで最近、利用者が増えているリサイクル着物も、こうした世情を反映しての流行であるとも考えられます。若い人の利用が多いことを考えても、和装を求める人自体の数は決して減少し続けているわけではなく、むしろ潜在的な和装愛好者の存在を裏付ける動きであると捉えることができるでしょう。しかしながら世の中の和装品がみな、古着で済ませられるかと言えば、決してそんなことはありません。いくら安くても、私のように満足に着れるサイズがなければどうにもなりませんから。着物は仕立て直しが効く範囲でなら、何世代にもわたって着回すことのできる衣類ですが、それとて限界はあります。したがって、リーズナブルな着物を生産し、提供し続けてくれる業者が、これからも存在し続けてくれないと困る人も多いはずです。和服の世界が古着だけになり、誰も新しいものを作らなくなってしまったら、夢も希望もなくなってしまいます。そうは思いませんか?

着物には洋服にはない不思議な魅力がたくさんありますが、それを感じることができるのも身につけたときこそです。他人が着ている着物を見て「いいなあ。」と思ったらしめたもの。家に着物が一枚もなくても、着付けができなくても、着物への想いさえあれば、万事難関乗り越えられるもの。時代は流れ変わりゆくものですから、その時代に合った賢い選択も許されるはず。和装の世界も例外ではありません。念願の着物を身につけた時の喜びを想像しながら、気軽に着物と付きあうための第一歩を、みんなで一緒に考え実現させていきましょう。今からでもきっと遅くはないはずです。



1999年4月4日 掲載
    
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