「きもの離れって何?」

「きもの離れ」という言葉を聞くたびに、なんだかかっがりしてしまいます。そして、きもの業界と我々きもの愛好者との距離がますます遠くなるのを感じます。「きもの離れ」という言葉が使われ続けている限り、きものは永遠に新たな光を浴びることはできないでしょう。きものが好きで好きでたまらず、常にきものと向かい合って生活している我々きもの愛好者にとっては、まったく好ましくない響きを感じる言葉であることを、もっとご理解願いたいものです。「きもの離れ」という言葉は、そんな我々にとっては何やら一方的な業界用語のように思えてなりません。まだまだきものを着たいと願っている人々が、こんなに大勢いるにも関わらず、その声が届かないのはどうしてなのでしょうか。

「きもの離れ」という現象は、幻の現象です。売り手の意図する売れ方にはならなくなっただけではないでしょうか。これは着物に限った話ではありませんから、何もそう悲観しなくてもよいことです。着物が売れなくなったこと、着物を着る人がいなくなってしまったこと、そうした事実を「きもの離れ」と呼びたい気持ちは痛いほどわかりますが、現代に合った売り方買い方という構図に当てはまりさえすれば、それほど事態は深刻にはならないはずです。これは決して昨今の風潮に媚びた形を取るというのではなく、維持繁栄のためにはビジネススタイルを変えなければ成功しない場合もあるということに過ぎません。きものが廃れてしまったのは一体誰のせいなのか?などという原因追求についての議論を始めるつもりは毛頭ありませんが、少なくとも私には、売り手と買い手の間における、きもの自体の活用方法における認識のズレが大きいことが、「きもの離れ」と呼ばれる幻の現象を見せ続けているように思えてなりません。そして、今のこの現実をもたらしたのは、敢えて言えば多面的な意味において、日本人全員の責任と言えるのではないかと思うくらいです。


生活が洋風化して、きものは現代生活に合わないものとなり、昔のようにきものを着る人がいなくなってしまったから、「きもの離れ」なのでしょうか。確かに現在では着物を好んで着る人が極端に少数派となってしまったことは事実ですが、日本人が「きもの」という衣類から離れてしまったという視点で考える限り、論点の時間軸が止まっていると言えます。なぜなら、きもの全盛時代の様子など知らない現代の若い人々の中にも、純粋にファッションとしてのきものに魅力を感じ、身に纏いたいと願う人は多いからです。むしろ、そうした人たちが「きものに近づけない」ことが、強いて言えば「きもの離れ」という現象に結びつくと言えなくはありません。

具体策としては、やはり普段着の着物を肯定し、存在させることこそが、高級呉服をも含めたきもの全体の活用を大きく左右するものと思います。このことは、単に私個人の考えではなく、ほとんどのきもの愛好者の意見から伺える事実でもあります。みんな普段着の着物が欲しい、けれどもそれがない。だからきものを気軽には着れなくなってゆく。考えてみればこれは当然のことであると言えます。むしろ男性よりも女性のほうが事態は深刻で、何かの目的で着物を着て出かけるたびに、ヘアセット+着つけのために高い料金が必要となると不経済と言わざるを得ません。「きもの離れ」を連呼する前に、こうした現実から、「きもの」そのものが否定されているわけではないことに、もっと着目すべきだと思います。

しかしながら仮に、「きもの離れ」という「現象」を分析し、その理由を克明に調べ出すことができたとしても、おそらく重要な解決策を見出すことはできないでしょう。それよりも、純粋にきものが着たいと言う人々の願いを、どうすれば叶えられるかを真剣に考えることこそが、きものの明るい未来を約束する鍵となることでしょう。「きもの離れ」という現象は、互いに反発し合う磁石のようなものかも知れません。着物を売る側と買う側は、一方がN極に、他方はS極にならなければなりません。そして、きものが振りまいてくれる多くの魅力を、お互いが吸引し合うための磁場として活用することが必要でしょう。

きものと楽しく向き合ってゆくために、方向性を変えなければならないことがたくさんあります。「きもの離れ」の連呼もそのひとつ。この言葉、そろそろ死語にしませんか。なんとか今世紀中に「きもの離れ」という言葉を根絶し、新しい視点と発想に基づくきものビジネスに期待したいものです。我々着る側も、きものに強く近づきたいと言う強い意思を、勇気を持って見せる努力が必要です。「きもの」を自由にするために、絡みついた束縛の糸を一本一本みんなで取り除いてゆきましょう。




1999年5月8日 掲載
    
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