「執筆裏話(その2)」
実は、初稿には「きものは謎だらけ」という章がありました。これは、日頃から本当によく耳にする和服を楽しむ上での悩みや課題などを、ひとつひとつ取り上げて私なりの解釈を加えながら、それらをクリアするためのヒントをまとめたつもりの内容でした。ところが、出版社編集側から、「全く何の先入観も持たない人にこうした情報を示すと、かえって和装そのものに対して構えさせることになるのでは?」という意見がでて、章自体をカットすることにしました。たしかに、一冊丸ごと和服の話となる本で、初心者に余計な不安や悩みをわざわざ与えることはないですよね。この章をカットしたことで少し褒めすぎなくらいの和服の本となりましたが、結果的にはこの方が楽しく読んでもらえたのではないかと思っています。ホームページ上では以前から何度も触れてきた内容ですが、今後書籍としてはこうした内容を掲載することはないだろうと思い、カットした部分を原稿上のサブタイトルごとにまとめなおして、ここに掲載することにしました。

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「誰も着ない謎」
誰も着物を着ないのは、誰も着物を着ていないからであり、そしてまた、誰も着物を着ようともしないからに違いありません。他の多くのファッションがそうであるように、一定数の和服姿の人々が街に溢れたならば、きっと多くの人々が和服をファッションとして選択するようにもなるはずですが、残念なことに和装と言うジャンルに限っては、過去に一度もそうした現象は発生していないのです。魅力あるファッションは必ず伝染するものですし、前にも触れた通り、和装にも人々を魅了する要素がたくさんあるにも関わらずです。もっとも、正確には浴衣や甚平など、ごく限られたアイテムにおいては同様の現象が発生してはいるのですが、いずれも夏季限定の風物詩に近い現象であり、和装全般に及ぶものではありません。

では、誰一人として洋服の代わりに和服を着ようともしないのは何故なのでしょうか。ファッションとして、あるいは普段着としての和服はもはや存在し得ないのでしょうか。

実に長い間、こうした疑問がもはや諦めにも近い嘆きと共に唱え続けられて来ましたが、今までそのほとんどの理由に対する答えを導き出せないまま、ひたすらきもの文化の継承を謳って来たように思えてなりません。きものを誰も着ないことに対する理由があり、その原因がわかっているなら、ひとつひとつそれを解消すればよいだけのことです。きものを着たいと願う人が大勢いるにも関わらず、なぜそのような方向に向かわなかったのでしょうか。

ある日、大変興味深い一通のメールがホームページに寄せられました。

『私としても、きものの素晴らしさを十分理解していたつもりですが、普段着としてきものを着ること自体は、目立つ、恥ずかしいという理由から敬遠しておりました。きものを着ることに何ら気負う事無く「好きだから着る、心地よいから着る」というスタンスで語られる「男のきもの大全」ホームページは、「日常着としてのきものは、今後存在し得ない」という、私自身の思い込みが間違いである事を気づかせてくれました。きもは確かに機動性の面では洋服に劣りますが、機能性(快適性、携帯性、再利用性、ファッション性等)においては、現在の日常生活の中でも十分通用するはずであろうことは、私も常々考えておりました。きものにまつわる余計なイメージを払拭しさえすれば、普段着としてきものを着ることは困難ではないのですね。』

このメールは、実は呉服屋さんから頂いたものです。きものを販売する側の人々が、きものは日常着ではないと結論付けるなら、もはやきものに未来はありません。しかしこの方は嬉しいことに、ホームページで語った私の想いを知ってこんなメールを下さったのです。もちろん、このメールの主の最初の考えを批判する権利は誰にもありません。きものが日常から遠く離れたものになってしまったのは、日本人全体の判断と選択による相乗的な行為の結果であると言えるのですから。そうして生まれた「きものにまつわる余計なイメージ」のほとんどは、売り手買い手に関わらず「着る側の人間の思い込み」であり、そうしたイメージを膨らませ続けて来たのは、やはり我々日本人自身であると言っても過言ではないのです。
では、「きものにまつわる余計なイメージ」とは一体何なのでしょう。

男性に限らず、和服に対する不満も含めた負のイメージは、「高くて買えない、目立つので恥ずかしい、自分で着れない、着る機会がない、手入れが大変」などなど、世代を超えて同じような意見が目立ちます。しかしながら裏を返せば、そうした否定的な要素を取り除きさえすれば着たいという人は多いわけで、実際に直接会ってお話を聞いたり、ホームページに届く膨大なメールなどで私が知り得た意見の大半は、「世間の目など気にすることなく、和服をもっと自由に楽しみたい」と願う内容のものばかりなのです。和服以外の衣類であれば、誰も悩むことのないこれらの問題が、どうして和服についてだけ当たり前のように唱え続けられて来たのかということにも、やはり目を向けなければなりません。

和服を着ない理由を着る側の立場から考えると、大きく分けて二つのケースが考えられます。一つは着たくても手が出しにくいというケース、そしてもう一つは、持っているのにほとんど着ないというケースです。後者はいわゆる箪笥の肥やしと呼ばれる現象でもありますが、いずれのケースも着物を着る上で問題だと思っている理由はほぼ重複しており、非常に多岐に渡る悩みを抱えているため、一朝一夕には片付けることができないのが現状です。

しかしながら、どれも決して解決不可能な問題ではないのです。事実、私自身がこうしてきものでの生活を長年送っているのですから。いずれにせよ、そろそろ本気でこれらの問題解決に取り組まなければ、きものは本当に文化遺産になってしまいます。

つづく
2002年10月20日 掲載
    
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