「執筆裏話(その3)」
「きものは謎だらけ」と題した章は、大部分をカットすることになりましたが、その一部は、「第五章 和装の心意気」と章タイトルを変えて使用しました。以下の文章はその一部ですが、青字の部分が完成稿として残した部分、それ以下はカットした部分です。

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キマリゴトの謎
和装における決まりごとの多くは、日本人の礼儀作法や日本式の生活様式と密接な関係があります。お辞儀の仕方や正座の姿勢、襖の開け閉めなどに見られる立ち振る舞いでの作法は、和服であることが前提となって生まれたものでもあるのです。また、日本家屋の構造も、袖などを引っ掛けないように、突起物を極力排したフラットな構造にするなど、和服での生活に都合が良いように設計されています。

従って決まりごとにも、本来それぞれに理由があり、意味するものがあります。それらを知れば理に適っているものも多いのですが、全てを事前に理解することは、和服での生活が基本となっていない現在では現実的とは言えません。また、現代における生活環境や社会的な意識の在り方が、そうしたルールを自然に生み出した時代とは全く同じであるとは言えない以上、時代に合わせた着こなしの提案がもっと必要であるとも感じます。

そうした時代の流れの中で、「面倒なキマリゴトが多い」ことは、和装への入口を実に近づき難いものにしています。見えない不安と不自由さを伴う、理解に苦しむ規定の数々は、和装を難解なものにしている以外の何者でもありません。しかもほとんどの場合、着る人に対して納得のゆく説明がなされておらず、慣習やシキタリという理由で一纏めにされていることが多いようです。少なくとも、和服を着る以上は知っておきたい知恵や知識と、おしゃれを楽しむための提案とが、混在して誤解を生むようなことのないようにしたいものです。

多くの人にとって、伝統という重い扉に守られたようにも見える和装の世界は、全くの謎に包まれた世界でもあります。これだけ誰も着物を着なくなった現在では、一般常識の一部として着物の常識を定義づけることさえ、そもそも無理があると言わざるを得ないでしょう。

実際、きものに関する決まりごとの多くは、必ずしも着る人がその全てを理解しなければならないということはありません。より多くの人に楽しくきものを着こなしてもらうには、そうしたルールはできるだけ少なく、分かりやすい方が良いと考えます。

また、和装における決まりごとが、洋服と比較して受け入れ難いイメージとなっているのは、その多くが装いの自由や楽しみを奪っているからだと考えられます。なぜなら、TPOから小物の取り合わせに至るまで、実に厳格な(と思われている)約束事が、昔から至る所で語られているからです。これを全て真に受けると、定義される組み合わせの和装品を持っていなければ、手持ちの組み合わせで勝手に着用してはならないことにもなり、結果として和服を着たくても着ることができないという束縛された現実を生むことになります。

値段も高く、着るにも不自由で、なおかつ約束事まで覚えなければならないとなると、和服を着るのなんてやめようと思う方が普通です。和服を着ることがそれほど大変なことなら、洋服で済ませようと判断しても当然なわけです。このままでは、進んで和服を着たいと思っている人たちまでもが、和服を着る必要性を感じなくなってしまうのは目に見えています。

いずれにしても、きものを着るということに対する本質さえ見失わなければ、約束事の多くは絶対事項ではないのだと、改めて表明すべきではないでしょうか。

二〇〇二年度からの導入が決まった中学校の和装教育についても、和装に対する様々な誤解を解消し、ぜひとも和装の楽しさを多くの子供達に知ってもらえるような内容であることを願っています。




2002年10月20日 掲載
    
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