「執筆裏話(その4)」
完成した本の最後の章、「第六章 和服と共に生きる」は、初稿では「きものが呼んでいる」という仮題をつけて第一章に置いてありました。多くの読者から“一番おもしろかった部分”との感想をいただいていますが、第一章だと前置きが長すぎる印象となるため、一番最後に移動することとなりました。この部分も初稿の文章はさらに長いものでしたが、全体とのバランスを整えるため多くの部分を割愛しました。以下はその割愛した部分を再編集したものです。多少前後の脈絡が不自然な部分もありますが、そのままの形でつなげてありますので、どのページにあったものかを想像しながら読んでみて下さい。青字の部分は完成稿にもある部分です。

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きものが呼んでいる(前半)
絹の記憶

 生まれて初めてきものを身に纏ったのは、生後四ヶ月の時のことです。それは、日本の風習であるお宮参りのきもので、掛着とも呼ばれる祝着でした。むろん記憶などありませんので、着たというより着せてもらったものです。今思えばこの時の絹の記憶が、後になって私のきもの熱を呼び覚ますことになったのかも知れません。

 
三歳の時の七五三でもこの祝着のきものは活躍しています。その時のことも記憶はほとんどありませんが、地元の稚児行列に参加した時、なぜか私は、草履を履くのを嫌がってべそをかき、困り果てた母は、足袋の代わりにタイツを、草履の代わりに靴を履かせて行列に参加したのでした。当時の古い写真には、確かに稚児衣装の足元に靴が写っています。なぜこの時、草履を嫌がったのかは定かではありませんが、恐らくお気に入りの靴を履けないことが悲しくて仕方なかったのでしょう。
 当時はまだ「よそいき」と称して、お出かけする時に着る服は、普段着とは間違いなく違うものが用意されていました。子供心にも、それを着ることは楽しみだったに違いありません。日本では、恐らくTシャツとジーンズが大流行した頃から、「よそいき」と「普段着」の区別がなくなってしまったように思われます。また、女性たちもが「よそいき」のおしゃれとして積極的に着物を着なくなったのも、その頃からのような気がします。


きもののある風景

 私が子供時代を過ごした昭和30年代の後半から昭和40年代という時代は、恐らく現代の日本人にとって、ノスタルジアを感じる風景が残る末期とも言える時代で、典型的な日本がそこにはたくさんありました。今にして思えば、和服も普段の生活の中にまだまだ生きていたように思います。
 たとえば、小学生の頃に習っていた習字の先生は、同級生のお母さんでしたが、たいていは和服姿の方でした。隣の家に住んでいた新妻のお姉さんも、普段着に和服を着ていることが多い人で、ある時一緒に近所の小山に登ったことがあるのですが、その時の写真を見ると和服に下駄というスタイルの彼女が写っています。私の家の母親や祖母たちも、事あるごとに和服を着て出かけていましたし、近所のおばあさんたちは、地味な着物に半幅帯をぺったんこの貝の口に締めた人が多く、畑作業も多かったせいかもんぺ姿も珍しくありませんでした。こうしたおばあさんたちは、洋服の時もたいてい足元は足袋に草履で、汗や汚れを防ぐため、和洋問わず襟足に手ぬぐいをかけている人が多かったものですが、今ではそういう「いじわるバアサン(青島幸男さんが演じた人気TV番組の主人公)」みたいなスタイルの人は全く見かけなくなりました。
 「いじわるバアサン」と言えば、当時のTV番組に映し出されていた、一般家庭における日常の生活風景の中にも、着物がごく普通にあって、お父さんが仕事から家に帰ると和服に着替えて寛いでいるというイメージが、なんとかまだ実践されていた時代でした。
 具体的なTV番組となると、思い出せるのは子供番組ばかりですが、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といったポピュラーな番組の中のエピソードにも、団地の奥さんたちの集まる井戸端会議では二〜三人の和服姿のお母さんが映っていましたし、事件があって夜中に集まる野次馬の中には、浴衣の寝巻姿の男女が結構多かったものです。
 また、「好き!好き!!魔女先生」の主人公、かぐや姫先生こと月ひかる先生は、竹薮の中の自宅に帰ると夏は浴衣、冬はウールの着物姿で、隣に住むおじいさんとおばあさんは二人とも常時和服、おじいさんは活動的な野袴を穿いて庭の掃除をしていました。
 こうして見ると、懐かしのTV番組というのは、放映当時の生活の様子を偲ぶにも格好の映像資料であり、そこに映る和服姿の人々の様子にも大変興味深いものがあります。


 
そんな時代の我が家の様子はどうかと言えば、どこにでもある全く平凡な家庭でした。小学生になる頃まで十七歳年上の義理の姉と一緒に住んでいたので、当時は母親と祖母を含めて三人の成人女性が家におり、彼女たちが和服を着たり脱いだりする様子をいつも不思議そうに眺めていたものです。
 母親は結構着物が好きでよく着ていましたが、あるとき大病をして両手に力が入らなくなり、自分で帯を締めることができなくなったのを機に、すっかり着物からは遠ざかってしまいました。一方で、父親は全く着物を着ない人で、幼い頃に両親と写ったセピア色の写真の中に、大島紬を着た父の姿がわずかに残っているだけでした。本人に聞いても着物姿は、後にも先にもそれっきりのことらしく、私が物心ついた時から現在に至るまで、父が着物を着ているのを見たことがないはずです。
 そして昭和四十三年の春、小学校に入学した時、真新しいランドセルを背負った私は、きものを着た母に手を引かれ、桜の舞い踊る春の中で胸をときめかせていました。当時の入学式はきもの姿のお母さんの方が圧倒的に多く、みんな揃って黒羽織を着ていた光景が今でも目に浮かびます。この黒い絵羽織はやはり当時の流行で、誰も何の疑いも無く揃ってこの姿でしたが、今ではほとんど見かけることがなくなってしまいました。現代で、そんな入学式の光景を見ることができたとしたら、全く違った意味で胸をときめかせてしまいそうです。

後半につづく




2002年10月20日 掲載
    
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