「泥海の中から」

このホームページを開設して以来、実に数多くのメールをいただいておりますが、非常に困惑してしまう内容のものも少なくありません。そのほとんどは相談事や意見を求められる内容のもので、中には深刻なケースも多々あります。私は評論家でもカウンセラーでもありませんので、とりあえず一個人としての意見をお返事して差し上げるようにしていますが、あえて失礼を承知で言わせてもらうならば、そうした種類の人々は、総じて視野が狭く後ろ向きな考え方であるような気がしてなりません。今までは、こうした暗い種類の話をWeb上で披露することはあまりしませんでしたが、最近、呉服屋さんをはじめとする着物業者の方から、相談や意見を求めるメールが顕著に増えているため、話題提起の意味で少しお話してみたいと思います。 ただし、ここでは、そうした困った内容のメールを個別に披露するのではなく、それらの内容から私なりに感じることを話してみたいと思います。

もっとも多い言葉は、『今の時代、本当にきものは人々が必要としている衣服なのでしょうか?』というものです。突然こんなフレーズを示せば、このホームページをご覧になっている方であれば、驚き、遺憾に思われることでしょう。しかし、複数の呉服屋さんがそうため息を漏らすのです。これは悩み、というよりも諦めにしか聞こえません。彼らがそう思ってしまうのは、売れない、買わない、誰も着ない、などの理由から、商う側の人が現代生活においての必要性を感じなくなってしまっているのです。中には、何年、何十年と外商して家々を廻っても、『そんなもの要らない』と言われることの繰り返しでいやになった、と現実を語る人もいます。もちろん、大変なご苦労があったのでしょうが、もっと冷静に考えてみましょう。時間や労力はともかく、日本人口の果たして何人に聞いて廻った結果がそうなのかをです。とても運悪く、必要としない人ばかりを選んで聞いていただけだったかも知れません。いずれにしても、全体から見ればほんの一握りの人の意見だけで結論を急ぐ必要はないのです。自分自身が誇りを感じ、着物が心から好きであるならば、着物を信じているならば、最後の一人になるまで諦めないで欲しいと思うのです。

こうした種類の会話をメールで交わした時は、私の主催する「男のきもの大全会」や、全国各地にも増えてきているきもの愛好家の集いなどに積極的に出席するよう勧めています。そうすれば、まだまだ大勢きものを愛してやまない人々がいることを知ることができるからです。しかしながら、この勧めに対しても意外な反応で尻込みされてしまうことがほとんどで、これには心底がっかりしています。私の勧める意図は十分理解していただけるようなのですが、だからこそ、業者が参加しては純粋にきものを楽しみたいと願う他の参加者の人たちに迷惑をかけると認識されるのです。理由はさまざまですが、どうしても商売的な色眼鏡で他の参加者を見てしまうとか、着物業者は純粋なきものファンではないから参加資格はないだとか、要するに立場が違うからということが共通する理由のようですが、私にはどうにも理解できません。

「きものが好き」という共通項さえあればそれで十分だと思うのです。業者でも非業者でも、それはたまたまそうだった、だけのことでよいのではないでしょうか。一消費者としても気の合う呉服屋さんを探している人は多いはずですし、知らない和装情報をプロから教えてもらえれば、それが貴重な出会いとなるかも知れません。もしも参加資格がない人の条件を挙げるとしたら、きものに夢も希望も持たない人くらいのものだと思うのです。私としては、大全会のような遊びの場こそが、きものユーザの本音を聞くことのできる、まさにその「現場」ではないかと思うのです。「現場」を見ずして、着たいと願う人の意見を聞かずして、どうやって消費者の心をつかみ、関わってゆけるのでしょうか。自分の信じて疑わない世界の外を覗いてみる勇気も時には必要です。

こんなふうな内容を返信メールに書くのですが、決まってそれでも考え直して参加してくださる人はほとんどありませんでした。そうした人たちを決して責めるつもりはありませんが、意外と頑固な方が多いようです。降る雨もいつかは止んで青空が広がるものですし、明けない夜もありません。この世界は常に変化しています。“運”とか“風”を味方につけるのも、その人の心と行動力しだいなのです。





2002年10月20日 掲載
    
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