わたしたちの“選択”

明治以降、西洋化の波とともに、わたしたち日本人が追い求めてきた豊かさとは、生活を便利にするモノやサービスに象徴されるものでした。一心不乱に働いて得た収入を使い、競うようにそれらを手に入れることで、多くの人が満足と幸せを感じた世の中が続きました。

しかしながら、そうした高度成長期と呼ばれた時代は、1970年代になって終焉を迎え、1990年代のバブル崩壊を境に、もはや過去のものとなりました。その結果、皮肉なことに、そうした時代を真剣に生き抜いてきた人々ほど、残りの人生を「どう生きればいいのかわからない」と言い、未来ある若者たちは、人生の手本となるべき人に出会うチャンスを失いつつあります。しかしこれらは、戦後日本人が成し遂げた成功体験の副産物ともいえるため、挫折とは違う種類の現実となってのしかかっているのです。

こうして、自らの心の行方を求める術がわからないまま試行錯誤を重ね、次第に多様化していった消費者ニーズは、「モノの豊かさ」から「心の豊かさ」を求める方向へと確実に変化していきました。心の豊かさを得るためには様々な選択が必要です。何を選択するかは自由ですし、選択肢も一つとは限りませんが、何にせよ選択は重要です。なぜなら、どんな文化を未来に残すことになるのかを約束する鍵になるとさえ言えるからです。
選択には、今、目の前にある選択と、未来に訪れる選択の二種類があります。高度成長期を走り続けてきた日本人の多くは、未来の選択を予見する必要性を、案外見失っていたのかも知れません。

個人にとっての選択は、結局のところ、「好きで仕方がないこと」を選ぶのが、一番幸せな生き方だと思われます。従来の日本の考え方では、積極的に選ぼうとはしなかった種類の考え方ですが、今はそう考える識者の方も多いようです。また、はじめは好きでなかったことも、好きになるよう努力した結果それが好きになったのであれば、そうでない人よりははるかに幸せなはずです。「好きなことを選ぶ」という、シンプルな生き方を支えるのは、好奇心というエネルギーであり、体験欲、知識欲、成長欲、自己実現欲求などを満たしてくれるものを、これからは多くの人が望む時代となるでしょう。

「きもの」についての選択を考えるならば、これまでのように衰退ばかりを嘆く時代は終わったと考えるべきです。個人の無力を嘆くことも幸せな選択ではありません。今、この瞬間にも、数多くきものを愛する人々が存在し続けていると言う事実にこそ、大きな力と意味があると考えるべきでしょう。そうした人たちの共通した想いを増幅させることさえできれば、何事も発展が約束されるものだからです。重要なのは、人と人との心をつなぐインターフェースにほかなりません。

そしてもうひとつ、着物を自由なイメージでとらえ直したいならば、「着物」=「伝統文化」といつまでも難しく考えるのもやめにしましょう(もちろんこれは、着物が伝統文化に値しないという意味ではありません。くれぐれも誤解のないように)。文化というのは、いつの時代も人間が築くものであり、その延長に伝統が生まれるのであって、伝統を残すために人が存在するのではなく、人の存在が伝統を命あるものにしていくのですから。ありのままの姿こそ、心から愛せる姿であるという意識を忘れないためにも、わたしたちは日々の中で、“選択”するための力を身に付けていく必要があるものと思われます。果たして、あなたの“選択”する未来とは?




2004年3月13日 掲載
    
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