「花冷えや 箪笥の底の 男帯」 (鈴木真砂女)
花冷えとは、桜の花の咲くころにくる一時的な寒さ、だという。俳句の季語に使われるらしい。この方面に疎い私は、字引を引いて知った。
この俳句は瀬戸内寂聴尼の新聞小説に引用されたものだ。経済新聞にしては、気の利いたものを載せるのでおもしろい。対象となる読者が中高年男性に多いせいだろうか。
幼いころの私は、母親の箪笥でよく遊んだ。総桐で、引き出しを引っ張り出すと、やんわりした抵抗があり、押し込むと妙なる音色がする。そして気密性が良く、一つを押し込むと別の引き出しが押し出されてくる。小さい子供には格好の遊び道具だった。
女の子が生まれると桐の木を植え、嫁ぐおりには、成長したその木で箪笥を誂えて持たせた時代があった。母親の箪笥は、たぶん親に買ってもらったものだろう。
一番上の小引き出しには、巾着袋に入った大切なものがあり、結婚のカマボコ指輪や、若死した父が遺した金時計が入っていた。子供の私は指輪を嵌めたり、懐中時計の蓋を開け、竜頭(りゅうず)を巻いて遊んだ。母はそんな私を見ても叱らなかった。父と暮らしたころを想い浮かべていたのか。
小さいS字型の金具があり、ずっしりと重かった。純金だと母が教えた。これは羽織の紐をとめる鐶(かん)で、いまは私が愛用している。
大きな引き出しには着物がどっさりあった。畳紙(たとう紙)に包まれ、ナフタリンの臭いがした。この中の幾つかは戦後窮乏の時代に、食料に替わった。
いま私は七十近くなり、和服も時折は着る。そして上記俳句の持つ意味あいが、何となく分かる人生経験を得た。ここは私なりの脚色で、この句を味わってみる。
下町のひっそりしたしもた屋。女が一人いる。
齢はまだ三十そこそこ。地味に装ってはいても、隠せない色香が漂う。
桜の季節ながら、ちょっと肌寒い一日、女はふと思いついて箪笥を開けた。
重なって納められているいる着物の下に、男物の帯が一筋さりげなくしまわれている。 その手ざわりと移り香が、嘗て生活を共にした男を思い出させる。
黙って去って行ったが、帯は置き忘れたのか。その後言ってくるでもなく、こちらから連絡するのも未練ありげで業腹なので、そのままにしてある。
女は普段着の帯を解き、鏡の前に立ってその博多帯を締めてみた。
男物だが案外似合う。キュっと音を立てて締めると、ぐっと腰に力が加わる。
その昔、男に抱かれたときの感触が突然に戻ってきて、思わず気持ちが騒ぐ。
思いがけない強い力だった。不意を突かれた狼狽から、そのまま身を任せてしまい、ずるずると同棲に入り込んでしまった。
生温い風に包まれたような日々が続き、何年かして男は黙って出て行った。
懐かしい帯に触れながら、女は過ぎ去った季節季節を想い出す。
和服の似合う男だった。いまも着流しで歩いているのか。